いわゆる"ミニマリスト"にはなれない

昨年7月上旬の新潟移住の際、3tワイドロングのアルミトラックを借り、3人それぞれの家を巡って(元々近所)家財を積み込んだ。
洗濯機は俺のに一元化、ともぞうはベッドを捨てたりしたのにもかかわらず、俺のものそれではそれだけでは足らずさらにバンで運んだ。トラックの積荷も大半が俺のものだった。

俺はとにかくものが多い。そしてそのほとんどが道具だ。
ものを作るためのものが多すぎる。

その結果、一階のリビングの一角は音楽室になってしまっているし、玄関もツールキャビネットや電動工具を置かせてもらっている。

入居後それぞれの部屋を決める際、2人への気持ちばかりの配慮として一番狭い部屋を選んだのだが、これが本当に狭い。
2,600*2,600なのでおおよそ4.3畳。クローゼットも押入れもなく、ベッドとチェスト、暗室用品、ギターアンプ、スーツケース(今は夏服が眠ってる)が所狭しとあり、ドアを開けるスペースと、チェストの引き出しを開けるスペースしか残されていない。服も到底収まりきらないので散乱していることが多い。

そんな訳で、ハンガーラック兼、棚を作ることにした。

引き戸なのでドアを開けるスペースを確保しなくてはならないこと、またできるだけお金をかけたくないので、突っ張り棒スタイルにしようと思う。

ホームセンターで上の写真の部材と、角パイプ(20*20*5,500)、12mmの構造用合板を買ってきた。あとは家に余っていた角パイプと丸棒を一本。ネジは切って4本にする。

まずは角パイプを切り出す。部屋の幅が2,600mmなので、アジャスター分を加味して2,500mmを2本。450mm幅の梯子状にしたいので410mmを3本とる。

溶接でつなぎ合わせる。溶接機は去年の誕生日に会社の同僚からいただいたもの。100vの簡易的なものだけど、命に関わるようなものを作るのでなければ事足りる。何より軽いのがいい。

丸棒はバーナーで熱して曲げる。新潟に来て初めてアンヴィルが役立った。

こんな感じ。
製品(売り物)を作ってる訳じゃないので、作業のほとんどは目分量。家で飯を作るときと同じ要領で良い思っている。機能さえ果たせれば。

曲げた丸棒を先ほどのフレームと溶接する。ただの汚い玄関周りの写真にしか見えない。
暗くなると溶接ゴーグルの向こうが見えなくなるので、非常に効率が悪かった。

ラッカーで塗装。何をするにしても雪が邪魔になる。

2600mmの突っ張り棒、いくら鉄とはいえ20mmの角パイプではたわむ。ケチって柱を一本も立てなかったけど、気が向いたら補強しようと思う。

トータル4,000円、制作時間は3時間くらいだろうか。
使えるものができてとりあえず満足している。

反省点は、突っ張られる側にもナットを溶接するなりしないと角パイプとネジの間のスペースが遊びになってしまうこと。

物づくりをする人には様々な動機があるが、俺の場合は「ピッタリなものが欲しい」が多いように思う。部屋のサイズや、好みの素材感、その他要件合わせたものなんて、オーダーメイドするか自分で作るしかないのだから。
自分で作るには道具が必要で、その結果ものを作るたびに道具が少しずつ増えていってしまうのだ。思えば物心ついた頃からもの(立体)を作るのがとにかく好きで、ずっと文具や工具を振り回してここまで来た気がする。

この記事のカテゴリは工作・大工の「工」。
何かものを作る度に記録として残していこうと思う。

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回復の年、作る年

明けましておめでとうございます。
皆様にとって佳き一年となりますよう。

昨年は多くの人にとって環境要因により、その生活や未来の展望が変化した年だったと思う。
一念発起のチャンスを逃した人、窮地の中踏ん張っている人、切り替えて別の道を歩んでいる人、などなど。
緊急事態宣言が再度発令された今日とて、電車に揺られて通勤する道を選んだ誰かのおかげで、繋がっている今や未来があるということは言うまでもないこと。それによって生活の一部を助けられているのだから、感謝の念を忘れないようにしたい。

こうやって、久しぶりに誰かに自分の思いを言葉として伝えようと思ったことも、或いはそれの影響だろう。

不特定多数の人に対して言葉を発するということが元来苦手だ。苦手というよりその動機が自分の中にないと言った方が正しい。目の前の誰か。喉から発した言葉が、鼓膜を震わせられる距離にいる誰か。オンラインや手紙だったとしても心が動いたときの表情を知っている誰かにしか自分の内側を言葉として伝えたいという動機が持てない。
これは俺の性質だと思う。
距離の力を、関係性の力を過信しているともいえる。
端的に言ってしまえば、「知らんやつに話すことなんかない」になってしまうけど、実際そういうところがあるのが俺だと思う。
では、どうして言葉を綴ろうと思ったのかということについてだけれど、それは昨年の振り返りと今年の指針による。

昨年を一言で表すならば「回復」の年だったと思う。

4月中旬くらいまでは、それまでのバンド活動からの疲弊と、コロナ禍(リモートワーク+一人暮らし+陽当たりが悪い部屋+外出したら悪者的な風潮)による疲弊が重なって、精神的に相当参っていた。
都心は日光を金で買わなきゃいけないんだなあ(実際は部屋の内覧が夜間だったせいで、陽当たりを確認しないまま決めたのが悪いと思う)なんてことを考えたり、陽当たりや、他者との対面でのコミュニケーションが精神衛生を保つ上でこんなにも重要だったのだと実感した。

転機は5月中旬、会社の仲間たちと上野公園でスケボーをした帰路。
入谷の歩道橋の上で近所に住む同僚と3人でビールを飲んでいたところに移住の話を持ちかけた。揃いも揃って30オーバー、独身、彼女なしだったことも手伝って、そのタイミングで移住先の内覧の日程決めまで進んだ。俺は俺自身を大概なやつだと思っているが、彼らも相当に大概だと思う。

そして7月に移住した。間は端折る(いつか書くと思う)が、今この文章を新潟の海のそばの一軒家(広くて駐車場付きで月7万)で書いている。一年前にはまるで想像もつかなかった今がある。
新潟での生活は、朝陽で目覚められるほど陽当たりはいいし、川から海までジョギンできるし、米・酒・魚・肉・野菜はうまいし、諸々全ての調子が良くて楽しい日々を送っている。
新潟にはバンドのツアーで8回ほど訪れた程度で、知り合いとよべる知り合いもバンドの撮影をしてくれていたせりかちゃんと、お世話になっていたライブハウス、RIVERSTの小林さんの二人しかいなかった。一緒に移住してきた二人は全く縁もゆかりもない地に来た。
やっぱり、あいつらの方が大概だと思う。

地方移住は元々できるだけ早い段階でしたいと思っていたのだけれど、ここ数年はバンド活動のために実現できないでいた(一時は長野と東京を往復しまくっていたけど)。その場所に身体を運ばないと成立しない職種はコロナ禍において本当に大変だと思う。俺は幸運なことにも会社の方針と自身の職種がリモートワークとの相性がよく、どこの地でもネットと電源とmacさえあればできてしまう。
東京は生まれ育った街。嫌いではないけどたまに行ければそれで良い。俺の理想とする生活には明らかに不向きだ。

雑にまとめてしまうが、そんなこんなで精神衛生を健やかなところまで戻すことができた昨年後半だった。面白がって一緒についてきてくれた仲間と、新潟の地に感謝。

そして、今年は「作る」ことに貪欲でありたいと思っている。

「作る」への思いは昨年一年分の蓄積もあるだろう。文章を残そうと思ったのもそこに起因する。そして「作る」の中で大事にしたいことはミニマムスタートだ。
質を担保しなくてはならない部分はコンセプトだけで良い。後の部分は続けていく中で徐々に肉付けする。まずは作ること・発信すること。合間を見て増強すること。それを今年は続けていこうと思う。
このサイトも、今は見ての通り最小限の機能・デザインしかない。記事を書く度に少しずつアップデートしていこうと思う。
15年ほど所有しているこのドメインに紐づくサイトをまた作るにあたって少し迷ったのが、既存のサービスを使うか自前で構築するかだった。
今のご時世的にはnoteあたりがいいだろうことは百も承知だが、どうにも昔から自分で作れる範囲の物は自分で作りたいという思いがあり、結局WordPressを入れた。中身のことについては追々書こうと思う。

この記事のカテゴリは「話」だ。前述の通り、不特定多数の人に届けるための言葉を発するのが得意ではない。おまけに文章にすると硬くなり、時に高圧的な感じが出てしまう気がしている。これは昔からの課題。
文語と口語が違うのは当たり前として、対面でコミュニケーションをとっているのと同じような印象を文章でも伝えられるようになりたい。まるで話しかけているかのように。

こんな近況報告を、俺は一体誰に届けようとしているのだろう。動機なき行動をとることほど不思議なことはないが、きっと続けていく中で内堀りできるものがあったり、思いもよらぬコミュニケーションの形を見つけられるのではないかと期待している。
こんな感じでたらたら続けていこうと思うので、暇の折にふらっと覗いてみてもらえたら嬉しい。
それでは、また。
今年も何卒よろしくお願いいたします。

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